◎タイトル 「探検家フェトチェンコの生涯」
◎担 当 田 村 俊 介
◎日 時 10月20日(木)18時より~20時
◎場 所 勤労者山岳連盟会議室(飯田橋駅より徒歩10分)
◎会 費 会員……資料代若干
会員外…資料代+会場費=五百円程度
19世紀半ばの人、フェトチェンコの生涯は短い。
ロシアは中央アジアへの版図拡大とともに、新獲得地域の学術調査が必要となり、モスクワ大学を卒業して間もない博物学者フェトチェンコは植物学を研究する妻とともに、中央アジアに3回派遣された。フェルガナ盆地からアライ山脈の峠に登ったとき、遥かなアライ谷のかなたにザ・アライ山脈を発見。
しかし、ザ・アライ山脈の南側に出ることはできなかった。その後、氷河登高技術の習得を目指したヨーロッパ・アルプスのモンブランで、29歳にして命を落とす。
彼の死後、学友オシャーニンが彼の果たせなかったルートを完遂し、そこで発見した巨大な氷河(山岳氷河として世界一)にフェトチェンコ氷河と名付けたのだ。